はじめに
この投稿は2021年3月11日,木曜日に投稿した『夢をあきらめても,生きる』の改訂版です。
2023年1月12日,木曜日……当寺子屋にとって100日ぶりの投稿となります。
どうぞお楽しみください。
第1章『あみだくじで決めた』
アルドさんは「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」を目指して,今は8言語まで達成しているのね。でも人文学部や外国語学部などの出身ではなく,理学部の出身という異例の経歴よね。
文理両道,あこがれます。
そもそも私は高校時代,大阪外国語大学(現・大阪大学)のイタリア語科を目指していました。ちなみに,高校時代の英語の実力は学年で3番目と言われていました。
それなのに,なぜ理学部なのですか。
きっかけは1996年12月6日,金曜日。糸魚川市と長野県の県境付近にある蒲原沢(がまはらざわ)で発生した土石流災害です。ちなみに,冒頭の写真はこの災害の慰霊碑です。
1995年7月11日,火曜日に発生した7・11水害の復旧工事中の出来事だったわね。14名の工事関係者が犠牲になったのよね。
その災害がきっかけで,糸魚川の自然に強い興味を持つようになりました。その結果,地元を離れることに抵抗を感じ,大阪という遠隔地の大学に行く意味が見いだせなくなったのです。結局,地元に近い富山の大学に入学しました。
で,理学部になった理由は?
富山にも人文学部に言語文化学科という学科がありましたが,イタリア語専攻はありません。人文学部も考えたのですが,イタリア語でないなら何を専攻しても変わらないだろうと思い,どの学部に出願するかはあみだくじで決めてしまったのです。
あみだくじ……阿弥陀如来のお導きでしょうか……
いや,まあ,その……私は曹洞宗ですが……
ちなみにあみだくじの結果,現役時は教育学部,浪人時は理学部を受験しました。他に何の取り柄もないので,大学くらいは出ておかないと……と,当時は思ったものです。
それでも,ぜんぜん違う分野に進むなんて。
そうとも限りません。科学技術の世界において,数学や物理は言葉も同然なのです。理学部時代の私は,言葉としての数学,物理の習得に務めました。それに,語学なら大学でなくても学べますし。
第2章『1か月ずれていたら』
でもまだ「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」は出てこないわね。
その後,糸魚川に帰り紆余曲折を経て就職しました。理科系の仕事に興味はなく,事務職を希望していましたが,技術本部という部署に配属となりました。
またも畑違いの分野!
工学部や工業高校出身の先輩方に,設計というものを教えてもらいました。言葉としての数学,物理の基礎学力を持っていた私は,エンジニアという予想外の人生を歩むことになりました。
人生,流されているわね。
技術部員として,様々な現場への出張も経験しましたが,2011年の2月に茨城県の鹿島臨海工業地帯へ出張した時は,徹夜を度々経験するほどの過酷な作業でした。
2011年ってまさか!
出張は2月末で一旦帰社して,3月は糸魚川で残務処理に追われていました。そして2011年3月11日,金曜日の14時46分を迎えたのです。
東日本大震災ね。
私は糸魚川でデスクワーク中でしたが,地震後に速報を見ると「震度7」とありました。
ひどい被害だったわよね。もうすぐ十二支が一巡するけど,復興も長くかかったわね。
鹿島臨海工業地帯のクライアントさんにも,建物等に被害が出ました。人的被害がなかったのは不幸中の幸いと思います。
その後に現場は訪れたの?
2011年の4月に鹿島臨海工業地帯に出張したのですが,近くの道路には津波で流された自動車が残ったままでした。もし地震発生日時が自分の出張中だったとしたら……今でも考えると恐ろしいです。
第3章『人生最大の夢に挑む』
震災を境に,私は死生観が変わりました。人生は一度しかないのです。一生を振り返ったときに,満足できる生き方をしなければならないと思いました。
それが「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」なのかしら?
その前にもう一段階ありました。高校時代の最初の目標である大阪大学に入り直すことです。参考書を買いあさり,受験勉強をはじめました。おそらく,これが人生最大の挑戦です。
まさか,超難関の大阪大学に再チャレンジだなんて。無謀すぎます。
そうでもありません。大阪大学は入学定員が国立大学で最も多いのです。だから,簡単そうに見えませんか?
そう考えれば,入学定員が国立大学で2番目の東京大学も簡単そうに見えるわ。アルドさんにとっては,理学部出身で理系科目で高得点を狙えるからできた挑戦ね。
そうですね。しかし結局は高校時代と同じく,地元を離れることへの抵抗がどうしても払拭できませんでした。そして,受験勉強は3か月ほどで止めてしまいました。
ダメだこりゃ。
大阪大学に入り直すという,人生最大の夢をあきらめたことで,しばらく情緒不安定な時期がありました。立ち直ったきっかけは「語学は大学でなくても学べる」という考えを思い出したことです。
理学部に入ったときに思ったことね。
大学でなくとも,語学をライフワークにしたい。そう考えた末に行き着いたのが「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」なのです。
ついに,たどり着いた!
第4章『夢をあきらめても,生きる』
当時,私は英検2級を持っていました。次の準1級に挑戦するも,なかなか合格できませんでした。しかし「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」なら,一定の勉強量で複数の言語に合格できるだろうと思いました。
最初に合格したのはイタリア語検定4級ね。
こちらは3度目の挑戦で合格しました。特に2回目の挑戦では,あと1点で不合格になるという苦い経験もしました。受験料と金沢までの特急料金が水の泡と消えたのです。
まだ北陸新幹線が長野までしかなかった時代ですね。
その後,スペイン語検定5級にも運良く合格し,2022年には念願のロシア語検定3級にも合格したのね。
ロシア語検定は試験範囲も配点も,かなりシビアな試験です。
調べてみると,他にもミャンマー語,タイ語,ベトナム語,インドネシア語などの検定もあるのね。もちろん,これらの検定にも挑戦するのよね。
もちろんそうですが,私は生涯アマチュア言語学者と思っています。実は2022年12月29日,木曜日の年末に日本言語学オリンピックにオープン参加し,銅賞を受賞しました。
言語学オリンピックは,未知の言語の法則を解き明かすパズルのような問題が出るコンテストね。まさにアルドさんが好きそうな……
私は選抜枠では出られませんが,高校生たちが言語学オリンピックに取り組む姿は応援したいと思います。もちろん「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」も生涯挑み続けます。語学こそが私の生きる道なのだと思います。この寺子屋も,私自身の勉強のために開いているようなものです。
僕たちも,もっと勉強しなくちゃ。
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