はじめに
この投稿には改訂版がありますが,この投稿自体はそのまま残しています。
第1章『あみだくじで決めた』
アルドさんは「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」を目指して,今は7言語まで達成しているのね。でも人文学部や外国語学部などの出身ではなく,理学部の出身という異例の経歴よね。
文理両道,あこがれます。
そもそも私は高校時代,大阪外国語大学(現・大阪大学)のイタリア語科を目指していました。高校時代の英語の実力(成績ではない)も学年で3番目と言われていました。
それなのに,なぜ理学部なのですか。
きっかけは1996年12月6日,糸魚川市と長野県の県境付近にある蒲原沢(がまはらざわ)で発生した土石流災害です。ちなみに,冒頭の写真はこの災害の慰霊碑です。
1995年7月11日に発生した7・11水害の復旧工事中の出来事だったわね。14名の工事関係者が犠牲になったのよね。
その災害がきっかけで,糸魚川の自然に強い興味を持つようになりました。その結果,地元を離れることに抵抗を感じ,大阪という遠隔地の大学に行く意味が見いだせなくなったのです。結局,地元に近い富山の大学に入学しました。
で,理学部になった理由は?
イタリア語でないなら,何を専攻しても変わらないだろうと思い,どの学部に出願するかはあみだくじで決めたのです。
あみだくじ……阿弥陀如来のお導きでしょうか……
いや,まあ,その……私は曹洞宗ですが……
ちなみにあみだくじの結果,現役時は教育学部,浪人時は理学部を受験しました。他に何の取り柄もないので,大学くらいは出ておかないと……と,当時は思ったものです。
それでも,ぜんぜん違う分野に進むなんて。
そうとも限りません。科学技術の世界において,数学や物理は言葉も同然なのです。理学部時代の私は,言葉としての数学,物理の習得に務めました。それに,語学なら大学でなくても学べますし。
第2章『1か月ずれていたら』
でもまだ「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」は出てこないわね。
その後,糸魚川に帰り紆余曲折を経て就職しました。理科系の仕事に興味はなく,事務職を希望していましたが,技術本部という部署に配属となりました。
またも畑違いの分野!
工学部や工業高校出身の先輩方に,設計というものを教えてもらいました。言葉としての数学,物理の基礎学力を持っていた私は,エンジニアという予想外の人生を歩むことになりました。
人生,流されているわね。
技術部員として,様々な現場への出張も経験しましたが,2011年の2月に鹿島臨海工業地帯へ出張した時は,徹夜を度々経験するほどの過酷な作業でした。
2011年ってまさか!
出張は2月末で一旦帰社して,3月は糸魚川で残務処理に追われていました。そして2011年3月11日の14時46分を迎えたのです。
東日本大震災ね。
私は糸魚川でデスクワーク中でしたが,地震後にネットで速報を見ると「震度7」とありました。
ひどい被害だったわよね。この記事の投稿日は地震から10年後に当たる2021年3月11日だけど,今も復興途中だものね。
鹿島臨海工業地帯のクライアントさんにも,建物等に被害が出ました。人的被害がなかったのは不幸中の幸いと思います。
その後に現場は訪れたの?
2011年の4月に鹿島臨海工業地帯に出張したのですが,近くの道路には津波で流された自動車が残ったままでした。もし地震発生日時が自分の出張中だったとしたら……今でも考えると恐ろしいです。
第3章『人生最大の夢に挑む』
震災を境に,私は死生観が変わりました。人生は一度しかないのです。一生を振り返ったときに,満足できる生き方をしなければならないと思いました。
それが「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」なのかしら?
その前にもう一段階ありました。高校時代の最初の目標である大阪大学に入り直すことです。参考書を買いあさり,受験勉強をはじめました。おそらく,これが人生最大の挑戦です。
まさか,超難関の大阪大学に再チャレンジだなんて。無謀すぎます。
そうでもありません。大阪大学は入学定員が国立大学で最も多いのです。だから,簡単そうに見えませんか?
そう考えれば,入学定員が国立大学で2番目の東京大学も簡単そうに見えるわ。アルドさんにとっては,理学部出身で理系科目で高得点を狙えるからできた挑戦ね。
そうですね。しかし結局は高校時代と同じく,地元を離れることへの抵抗がどうしても払拭できませんでした。そして,受験勉強は3か月ほどで止めてしまいました。
ダメだこりゃ。
大阪大学に入り直すという,人生最大の夢をあきらめたことで,しばらく情緒不安定な時期がありました。立ち直ったきっかけは「語学は大学でなくても学べる」という考えを思い出したことです。
理学部に入ったときに思ったことね。
大学でなくとも,語学をライフワークにしたい。そう考えた末に行き着いたのが「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」なのです。
ついに,たどり着いた!
第4章『夢をあきらめても,生きる』
当時,私は英検2級を持っていました。次の準1級に挑戦するも,なかなか合格できませんでした。しかし「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」なら,一定の勉強量で複数の言語に合格できるだろうと思いました。
最初に合格したのはイタリア語検定4級ね。
こちらは3度目の挑戦で合格しました。特に2回目の挑戦では,あと1点で不合格になるという苦い経験もしました。受験料と金沢までの特急料金が水の泡と消えたのです。
まだ北陸新幹線が長野までしかなかった時代ですね。
その後,スペイン語検定5級にも運良く合格し,ロシア語検定3級が不合格になって現在に至るのね。
ロシア語検定は試験範囲も配点も,かなりシビアな試験です。
調べてみると,他にもミャンマー語,タイ語,ベトナム語,インドネシア語などの検定もあるのね。もちろん,これらの検定にも挑戦するのよね。
そうですね。生涯をかけて「外国語の検定試験で最低でない級の全言語制覇」に挑みます。語学こそが私の生きる道なのだと思います。この寺子屋も,私自身の勉強のために開いているようなものです。
僕たちも,もっと勉強しなくちゃ。
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