あの日のことはよく覚えています。朝の通勤時に車で姫川を渡った時,強い風が吹いていました。会社の駐車場から事務所まで歩いていたときも,風で飛ばされそうになりました。
アルドさん,重量級よね。
火事の情報は防災無線や市のメールなどで入ってきましたが,昼休みに別部署の方から「何軒も燃えているらしい」という情報が入ってきました。
飛び火……すごかったそうですね。
その日は,私の母が糸魚川に買い物に出ていました。会社の昼休みに電話をしたところ,母は火元から離れたお店が燃えていると伝えてきました。
遠いところまで飛び火したのね。
実はこのとき,私は「オカン何言うてんねん」と思って聞いていました。なぜそんな遠くのお店が燃えているのか,想像もつかなかったのです。
アルドさん,消防団員よね。
その後,防災無線から「全消防団出動」の連絡が入りました。消防団には管轄地域があり,糸魚川市では第1出動から第4出動まで決められています。私の所属する部が地区外に出動するのは第3出動からです。ところが予想もしていなかった第4出動,すなわち全消防団出動の要請が出て,事の重大さを悟りました。
アルドさん,消防団の班長よね。
仕事の引き継ぎを済ませ,私は地元消防団の詰所に向かいました。装備を済ませ,現場に急行したところ,母に聞いたお店がまさに燃えている光景を目の当たりにしました。
最前線で消火活動にあたったのね。みなさんケガはなかったのかしら。
私は火元から離れた場所で,ポンプを監視していたので,寒さ以外は苦にはなりませんでした。しかし最前線で放水をしていた部員は,目の痛みを訴えていました。洗眼等で改善したため,私の部から負傷者は出ませんでしたが,消防団全体では15名の団員が目の痛みなどで負傷したとのことです。
すごく危険な現場だったのですね。
鎮火したのが翌日の夕方だものね。関係者は大変だったのね。
私の所属する分団は,当日の夜に一旦撤収できましたが,徹夜で活動した分団もありました。翌朝,機材の撤収で再び現場を訪れたのですが,空襲後の光景かと思うほど,瓦礫の山と化していました。テレビや本でしか見たことのない光景……こんな表現を人生で使うとは思いませんでした。
切ないわね。
現場は糸魚川市の中心市街地ですから,市民の誰もが多かれ少なかれ,何かしらの縁がある場所なのですね。知り合いが住んでいて,なじみの店もある。そんな場所が消えたら,それはもうショックですよ。
あれから5年。防災を意識した復興が進んでいるけど,大事なのは火事を出さないことよね。
そうですね。みなさんも,火の元には十分注意願います。
火の用心!
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