
前回はバルト三国の独立運動のひとつである「バルトの道」を紹介しましたが,バルト三国の独立運動は総称して「歌う革命」と呼ばれています。

社会主義国だったチェコスロバキアでも,ビートルズの『ヘイ・ジュード』のチェコ語カバー曲が民主化運動のシンボルになったと習いました。音楽が歴史を動かすことは多いのですね。

エストニアの首都タリンには「タリン歌の広場」という名の野外音楽施設があります。現在では5年に1回,全国歌謡祭が開催されます。ソ連統治時代にも,ソ連の指導のもとに実施されていました。

それは意外ね。

プロパガンダです。

「歌う革命」ということは,チェコ語版『ヘイ・ジュード』のようなシンボルとなる曲があったのですか?

3か国それぞれに象徴的な曲があると思いますが,私はエストニアのMu isamaa on minu armという曲が印象に残っています。私は青年時代になってから,テレビで見て知りました。

YouTubeに様々な動画があるけど,美しい歌ね。

全国歌謡祭最終日の合唱は迫力がありますね。私はこの部分の歌詞が好きです。

su õnn ja rõõm mind rõõmsaks teeb,
(あなたの幸せと喜びは,私の幸せでもある)

ス ウン ヤ ルーム ミンッ ルームサッ テーッ

合唱すると気持ちよさそうだなあ。

1988年9月11日,日曜日。全国歌謡祭の開催周期ではありませんでしたが,エストニア全土から約30万人が参加したとされるコンサート「エストニアの歌」が開催されました。当然,この曲も合唱しています。

30万人の大合唱……そこからの爆発的独立運動……

紆余曲折はありましたがソ連との間で大きな戦闘はなく,エストニアは無血での独立を達成したと言われています。

チェコスロバキアの民主革命も大きな流血沙汰にならなかったことから,柔らかいビロード生地に例えて「ビロード革命」と呼ばれているのよね。

無血での社会変革は珍しいことです。そう考えると,現代の為政者は,歴史から何を学んでいるのでしょうか?

そもそも歴史を蔑ろにしてるんじゃない?

Слава Україні!
(ウクライナに栄光あれ!)
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