はじめに
2024年元日,石川県能登地方を震源とする最大震度7の地震が発生しました。
被害を受けたみなさんには心からお見舞い申し上げます。
私も避難しました。今回の地震について私の経験をお知らせします。なお,本日(1/2)予定の投稿は延期とさせていただきます。また,本記事の内容は2024年1月2日13時時点の情報です。
アルドさんは新潟県糸魚川市の親不知地区在住で,地元消防団の班長をしています。
自宅は1986(昭和61)年築の木造2階建てで,地震発生当時は母と姉と私の3人が家の中にいました。
地震発生
地震直前,私は自宅1階のリビングでブログを書き上げて投稿しており,1月2日に投稿予定の記事を書いていました。
1月1日のブログは15:40に投稿されています。
最初の揺れは16:06に発生しました。こちらは石川県で最大震度5強の揺れです。
石川県では2023年5月5日,ゴールデンウィークの最中にも大きな地震が発生していたわね。
ゴールデンウィークに続き元日も揺れるのかと,ため息をついていました。
ところがその直後,16:10に最大震度7の大きな揺れが襲ってきたのね。
私の自宅もこれまでに経験したことのない長時間の揺れを感じました。
家族はどうだったの?
同じ部屋に母がいましたが,混乱していたので落ち着かせ,その場を動かないようにさせました。
ガラスとか割れたら危ないものね。
そもそも1981(昭和56)年に新耐震基準が施行されているので,1986年製の私の自宅は耐えられるはずと冷静に考えていました。
アルドさんの自宅で何かあったら,周りの家はもっと深刻なのよね。
揺れが収まった後,母と2階に上がりました。2階にいた姉と合流し,部屋から貴重品だけを持って母と姉に避難の支度をさせました。
尋常じゃない揺れだったから,一刻も早く外に出ないといけないわね。
しかもテレビでは津波の予報が出ていました。
すぐに高台に!
元日のため帰省中の人も多くいましたが,皆が高台を目指して移動を始めました。地区内で最も海抜の高い場所である神社に向かいました。
高台にて
神社は高い位置にあるため,階段を登らなければなりません。
お母さん,大変だったんじゃない?
高齢化が進んでいる地区なので,階段には手摺がついています。とはいえ,足の悪い母には命がけの階段だったでしょう。
誰にとっても命がけね。
喪中とのことで今シーズンは初詣を遠慮していたのですが,まさか元日に神社に行くことになるとは思いませんでした。
正月から災難だったわね。
神社には十畳ほどの広さの社殿がありますが,自治会役員がストーブを持ち込み,高齢者や子どもたちは暖を取れるようになっていました。狭いので,動ける人は社殿の外の境内にいました。
アルドさんは消防団員として出動したの?
当日は消防車までは出していませんが,自治会役員のみなさんと協力して物資を運んだり,避難状況の確認を行いました。
みなさん避難できたの?
基本的には避難できましたが,病気等で動けない高齢者のいる世帯などで,自宅に留まる方が何世帯かありました。
それでも全員の安否は確認できたのね。
2023年9月5日に大雨で地区に避難指示が出たことがあり,そのあたりの対応は経験したばかりでした。
親不知地区は糸魚川市の中心から離れているけど,行政の支援は行き届いていたの?
国道は通行できましたが,さすがに元日なので市や消防本部の巡回はありませんでした。しかし,親不知地区を管轄する駐在所の警察官がパトカーで巡回に来ました。
お巡りさんも元日からご苦労さまです。みなさんはずっと神社にいたの?
津波警報が解除(注意報に切り替え)される見込みがなさそうで,神社で夜を明かすのは大変なため,自治会長が市に確認して耐震補強済の公民館に避難することになりました。
海抜は?
15メートルです。隣に川が流れていますが,津波が遡上しても直撃はしないと思われます。1階に大広間が,2階にステージがあるので,大人数を収容できます。
それなら問題ないわね。
止まった観光列車
地元住民(帰省者等含む)は公民館に避難しましたが,近くの親不知駅(えちごトキめき鉄道)では急行が緊急停車しており,乗客乗員24名が駅近くの高台に避難していました。
国鉄形観光急行ね。
乗客乗員も公民館に避難させることになり,私は誘導を任命されました。
重大任務ね。
親不知駅の海抜は11メートルですが海の近くにあります。公民館から駅まで歩き,駅を過ぎたところで乗客乗員と合流しました。
みなさん無事だったの?
歩くのが大変な方数名は別のメンバーの車で送迎しましたが,歩ける方は私が駅から公民館まで誘導しました。みなさんケガ等もなく,無事に公民館に避難しました。
列車の乗客乗員まで収容したら,結構な人数になるわよね。
地元関係者と乗客乗員で約100名ほどが避難しました。
普段の人口を超えているわよね。かなり密だったんじゃない?
消防団の詰所からファンヒータその他の物資を運んだほどです。さすがにこの人数で夜を明かすのは難しいため,津波警報は継続中でしたが,21時に地元関係者を自主避難に切り替えました。
津波警報継続中だったのに,帰宅してもよかったの?
情報によると糸魚川市内海沿いの一部地区の方々は帰宅していたとか……自治会長からは条件として,2階や崖等から離れた部屋で就寝すること,大きな揺れがあった場合は再度避難することなどが告げられました。結果として,地元関係者は全世帯帰宅しました。
アルドさんは消防団員として公民館に残ったのよね。
自宅に母と姉を送り届け,お雑煮を急いで食べてから公民館に戻りました。
鉄の夜
公民館の避難者は観光急行の乗客22名と乗務員2名の24人となりました。
津波警報も継続していたから列車に戻るわけにはいかなかったのね。
地区の自治会役員,消防団員,防災協力員などが残り,乗客乗員に毛布や非常食を提供しました。
まさかこんな形で元日の夜を迎えるとは,思ってもみなかったわね。
観光列車ですから,遠方の方も多かったと思います。自宅に電話した方が,家族に怒られている様子も聞こえましたが……本人には何の落ち度もないですよね。
誰も好き好んで地震に巻き込まれたりはしないものよね。でも,地元とは無関係の人まで受け入れるなんて,大変だったんじゃない?
大変は大変ですが,仕方ないですよね。乗客のみなさんは糸魚川にお金を落としていただいている存在ですが,そうでなくても困った人を助けるのは当然ですよね。
親不知にはアルドさんみたいな人が多いのかしら。乗客のみなさんの様子はどうだった?
乗客のみなさんは撮り鉄,乗り鉄と見受けましたが,私と違ってマナーよく,事あるごとに感謝の言葉をかけられました。
乗員の方も大変だったでしょうね。
公民館の中はインターネットや携帯電話が普段から繋がりにくいので,屋外でトキ鉄本社と連絡を取りながら情報収集していました。
新幹線も含め,安全確認できるまでは運転を再開できないから,夜に駅までバスを出すわけにもいかなかったのよね。
結局は,乗客乗員のみなさんには公民館に泊まっていただきました。
ということは地区のみなさんも公民館に残ったの?
最終的に泊まったのは自治会長と私の2名です。
おつかれさまです。
一夜明けて
1月2日は消防団に巡回の指示が出たため,朝7時から消防車で地区内をパトロールしました。
ちゃんと寝れた?
睡眠時間は約4時間でした。ちなみに私はどこでも寝られます。
サバイバルには有利な特技ね。地区内の様子はどうだった?
車両通行には支障ありませんでした。
消防車が通行できれば問題ないわね。家屋の被害は?
朝8時から,自治会役員と手分けして戸別訪問しました。住宅裏の傾斜地が崩れたところがありましたが,それ以外は小物の落下程度で,大きな家具の転倒や,目視範囲での家屋の損壊はなさそうです。かなり古い家も何件かあり心配していましたが,みなさん無事でなによりです。
地区のみなさんには大きな被害はなかったのね。急行の乗客乗員は?
トキ鉄さんがバスを手配して,糸魚川駅に輸送することができました。乗客のみなさんに手を振って見送りました。
無事に帰宅できるといいわね。とはいえ,鉄道が完全に止まっているから,糸魚川から先に行くには待たなければならないわね。
鉄道は安全確認後の再開ですので待つしかないですね。私のほうは公民館の片付けや,物品を消防団詰所に戻した後,自宅に帰ったのは10時でした。
おつかれさまでした。
急行の乗客のみなさんには,再び糸魚川に来ていただいて,糸魚川を楽しんでいただきたいですね。
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