もう一つの決勝戦

リベラル・アーツ/Liberal Arts
アルド
アルド

今から20年前の2002年6月30日,日曜日。日韓共催のFIFAワールドカップ決勝が横浜で行われました。

ミライ姐
ミライ姐

当時の熱気はすごかったわね。アルドさんも学生寮でテレビ観戦に勤しんでいたわね。

アルド
アルド

日本のチャンス時は大絶叫でしたね。富山県出身の柳沢敦選手が出場していたこともあって,ひたすら「やなーぎさーわ!」とコールしていた記憶があります。

ミライ姐
ミライ姐

スポーツの国際大会では,国際交流がよく話題になるわね。例えば富山市はクロアチア代表のキャンプ地になったのね。

アルド
アルド

その影響でクロアチア語を学び始めたのが私です。ちなみにネクタイとクロアチアの話はその頃知りました。

ミライ姐
ミライ姐

アルドさんもスポーツに影響されているとは……

塾生
塾生

ワールドカップですから,世界中の国や地域から強豪国が集まったのですね。

アルド
アルド

開催国の日本と韓国を含め,32の国と地域が集まりました。当時のFIFA加盟国は203ですから,どの国も熾烈な予選を突破して参加していたのですね。

ミライ姐
ミライ姐

2002年は開催国として予選免除だったけど,日本がワールドカップに初出場したのは,この前の回である1998年のフランス大会だったのね。この頃から,日本がワールドカップの常連になったのね。

アルド
アルド

ところで,横浜での決勝戦と時を同じくして,もう一つの決勝戦が行われていました。

塾生
塾生

ワールドカップとは別の決勝戦?

アルド
アルド

実は「最下位決定戦」とも呼ばれるゲームが,当時203位のイギリス領モントセラトと202位のブータンで行われました。

ミライ姐
ミライ姐

ブータンは幸せな国と呼ばれているわね。モントセラト……聞きなじみがないわね。

アルド
アルド

私は現ブータン国王のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクさんと同年同月生まれなので,親近感があります。

ミライ姐
ミライ姐

アルドさんと違ってイケメンよね。

アルド
アルド

モントセラトはカリブ海にある島国ですが,1995年に発生した火山の噴火により国土が荒廃したため,サッカーの試合どころではなくなったのですね。

ミライ姐
ミライ姐

どこの国でも,自然災害には悩まされるわね。

アルド
アルド

この最下位決定戦は「アザー・ファイナル」というドキュメンタリー映画にもなっています。ちなみに,4−0でホームのブータンが勝利しました。これがブータン代表の記念すべき初勝利です。

ミライ姐
ミライ姐

ブータンにとっては嬉しいわね。

アルド
アルド

なお,優勝トロフィーは2つに分割されて両チームで分け合ったそうです。

塾生
塾生

微笑ましい。

ミライ姐
ミライ姐

こんな国際試合もあっていいわね。

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