
アルド
糸魚川には知られざる偉人がいます。本日は松田守義(まつだ・もりよし)先生を紹介しましょう。

ミライ姐
糸魚川市歌地区の羽黒神社境内には,このような石碑が建立されています。
松田守義先生碑
先生諱守義通称彌三右衛門晩称彌三治本郡今井村中谷内之人也文化十四年生于其郷天保八年至江戸學於重野葆光學出於片山兼山而松下一齊而葆光先生在葆光之門五年學成為幕臣土岐某之嗣子傳及嗣子長為計司明治維新之後帰郷次移住歌村爾来以育英為任實二十餘年矣村人相率學於家塾先生誨人諄諄不倦以故長幼親先生如慈母初先生之下帷在學制頒布之前村人之知所向實先生之賜也明治二十二季有故上京翌年七月五日殉於僑居享年七十四村人聞訃思慕不休遂相謀建碑以不朽其徳云
明治四十三季四月
門人等謹誌

塾生
明治の人は,こんな漢文をスラスラ書いていたんですか?

アルド
文章は時間をかけて推敲したと思いますが,小さな村でも教育が行き届いていたことは驚きです。

ミライ姐
何と書いてあるの?

アルド
松田先生は現在の糸魚川市の中谷内出身で,江戸で幕臣となったが明治維新で帰郷。その後歌村に在住し村人に英才教育をなした……

ミライ姐
先生の徳を讃えて,門人たちが記念碑を建立したのね。

塾生
松田先生の影響は強かったのですね。

アルド
そうですね。歌地区の人口は少ないですが,私の知っている限り,会津磐梯山を踊る某二足歩行ロボットの関係者や,リュウグウを探査した某小惑星探査機の関係者を輩出しています。

塾生
すごい!


コメント
石碑は漢文ですが、日本語で分かりやすく説明してください
先生の名は守義,通称は弥三右衛門,晩年には弥三治と称した。今井村(現糸魚川市)中谷内の人である。文化14(西暦1817)年に生まれ,天保8(西暦1837)年に江戸に出て重野葆光先生の弟子になり他の門人たちとともに5年間学んだ。その後幕臣となったが明治維新により郷里に戻り,歌村に移り塾で村人たちに英才教育を施すこと実にニ十数年。先生は人を侮らず,丁寧に教えたため,村人は大人も子どもも先生に親しみ,母のように慕った。明治の学校教育が始まり,その普及がこの村で行われたのはまさに先生の賜物である。明治22(西暦1889)年に上京,翌年の7月5日に亡くなる。享年74歳。村人はその訃報を聞き先生を思い慕い,皆で碑を建てて永遠にその徳を称える。
ありがとうございます。松田守義さんと松倉さんの接点はないのでしょうか?
明治になってから歌に来ていますから,直接の接点は無いと思われます。