イラン・イラク戦争中の1985年,イラクのフセイン大統領の発言が世界を震撼させました。
今から48時間後,イラン上空を飛ぶ飛行機を無差別に攻撃する。
当時のイランには仕事関係やその家族で数百人の日本人が住んでいました。
イランから出国できなくなるって,一大事よね。イラン国内に留まっていれば,戦争に巻き込まれるかもしれないし。
多くの国が自国民救出のため,タイムリミットの48時間以内に飛行機などを出しました。ところが,日本はイランに飛行機を出す目処が立ちませんでした。
当時の自衛隊は国外に飛行機を飛ばせなかったし,日本の航空会社も安全性の問題で救出に行けなかったのよね。
どうにもできなかったのですか?
各国との交渉の結果,直前になってトルコが救援機を派遣してくれました。しかも,トルコ人をイランから陸路で出国させてまで,日本人を優先して飛行機に乗せたのです。
なぜトルコは日本人のために飛行機を出してくれたのですか。外国のためにそこまでする必要があるのかと,正直疑問に思います。
イランでの救出の95年前に起こった海難事故がきっかけです。日本人が忘れていた歴史を,トルコはずっと覚えていて,その恩返しとしてイランでの救出につながるのです。
そんな事故があったのね。
1890(明治23)年,当時はオスマン帝国と呼ばれていたトルコは,軍艦エルトゥールル号で日本に親善使節団を派遣しました。その帰りに,台風のため和歌山県沖で座礁したのです。
台風だから,出港を延期すればよかったのに。
後から考えればそうですが,帝国の威厳を守るため,台風にも関わらず無理に出向したようです。
結果として,大きな犠牲が出てしまったのね
乗組員656人中,生存者は69名でした。現場近くの村人により生存者が救出され,台風のため自分たちの食料にも困っていたにもかかわらず,生存者を献身的に看病したそうです。
救助や看護は大変だったでしょうね。
その後,山田寅次郎という実業家が義援金を集め,イスタンブールまで届けたそうです。
熱烈歓迎でしょうね。
山田寅次郎はトルコにしばらく残り,皇帝から士官学校での仕事を依頼されました。教えた生徒のひとりが,後のトルコ共和国初代大統領ケマル・アタテュルクです。
現在のトルコは,建国以来の親日国なのですね。
アジアの東の果てと,西の果てで,共通点がなさそうだったけど,強い絆で結ばれていたのね。
日本もトルコも地震の多い国で,大きな地震や災害が起こった時は,お互い助け合っています。
サッカーではヨーロッパに所属など,遠い国だと思っていたけど,トルコも「遠くても近い国」なんだなあ。
最後にケマル・アタテュルクの言葉を紹介しましょう。トルコ共和国の標語です。
Yurtta Sulh, Cihanda Sulh.
(祖国に平和,世界に平和)
ユルッタ スル,ジハンダ スル
世界中を平和にしたいなあ。
コメント