私は語学なら何でも好きですが,ある日ウズベク語を勉強していたらこんな文が目につきました。
Pahta o’zbek xalqining iftixori.
(綿はウズベク人の誇りです)
パフタ・ウズベク・ハルキニン・イフティホリ
特産品なのですか?
「ウズベキスタン」「綿花」で検索するとネガティブな内容が出てくるわね。
主な問題点として「綿花産業における児童労働」と「灌漑によるアラル海の縮小」があります。
地図を見ると,アラル海はかつて面積が世界第4位の湖だったけど,ソ連時代の灌漑による流出で干上がった……とんでもない環境問題ね。
ウズベク語で「塵も積もれば山となる」ということわざをToma-toma ko’l bo’lur.(タラタラと流れれば湖になる/トマトマ・クル・ブルル)というそうですが,逆にアラル海から水を奪ったのですね。
旧ソ連の国なのですね。あまり馴染みがないなあ。
ところが,ウズベキスタンは親日で有名な国です。
ウズベキスタンの人たちは,日本に詳しいの?
第二次世界大戦後,旧日本兵の多くはソ連の捕虜としてシベリアで抑留生活を送っていました。
多くの命が失われたのね。
ソ連構成国のウズベキスタンでも,日本人捕虜が強制労働に就いていたそうです。その労働場所のひとつが,首都タシュケントで建設中だったナヴォイ劇場です。
どんな劇場なの?
オペラとバレエの劇場だそうです。ナヴォイという名前は,ウズベキスタンの歴史上最も有名な詩人のひとり,アリシェル・ナヴォイに由来しています。
旧日本兵の捕虜の人たちは,建築関係の仕事をしていた人ばかりではないですよね。
戦争で建設が止まっていたようで,日本人は装飾などの仕上げを主に担当したようです。ナヴォイ劇場は1947年に完成し,町のシンボルとなりました。
現在のロシアもバレエなど芸術が盛んだけど,ソ連時代にこんな犠牲があったのね。
時は流れて1966年,タシュケントをで大地震が発生しました。多くの建物が倒壊した中にもかかわらず,ナヴォイ劇場は無傷で,誰もが驚いたそうです。
阪神淡路大震災の時にも,建設中だった明石海峡大橋の橋脚が無事だったわね。
明石海峡大橋は橋脚スパンが1メートルずれましたが「想定内」で影響がなかったのですね。しかし,仕上げ作業が主であったとはいえ,ナヴォイ劇場の工事に関わった多くの日本人は,建築を専門としない一般人です。
それでも大地震で無傷だったとなれば,思わず日本人を称賛したくなるわね。
ウズベキスタンの人たちは,建設当時から日本人が勤勉に働く様子を好意的に評価していたようです。同じソ連とはいえ,ウズベキスタンは連邦政府から抑圧される立場です。
僕も同じ立場なら,日本人に好意を持つだろうなあ。
ソ連崩壊後にウズベキスタンは独立し,初代大統領のカリモフはナヴォイ劇場に日本人を称えるプレートを設置させました。
ソ連時代には日本人を公然と讃えられなかったのですね。
ウズベキスタン人にとって,日本人は恩人のような存在になっていました。そのため,プレートには「捕虜」という言葉が使われていません。
そこまで大切にされていたのね。プレートには具体的に何が書いてあるの?
日本人を称える説明がウズベク語,ロシア語,英語,日本語で書いてあります。内容の解説はまたの機会にしましょう。
「遠くても近い国」であるウズベキスタンに興味が湧いてきました。
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